Mag-log inフィオナ・クロスベルと出会ったのは、ベルナへの二度目の訪問の帰り道だった。
ロッソ商会との取引が軌道に乗り始めて一ヶ月。試験期間の数字が予測を上回ったため、ベルダンから「早めに次の話をしたい」と連絡が来た。ゴードンと二人でベルナへ向かい、発注量の引き上げと新商品の追加について話し合った。交渉は二時間で終わった。前回より短かった。信頼が積み上がると、交渉は速くなる。
問題は帰り道に起きた。
街道の途中で、空が急に暗くなった。春の嵐だ。風が強く、雨粒が横から叩きつけてくる。ゴードンが御者台から声をかけてきた。
「あの廃屋で雨宿りしよう。馬が危ない」
街道脇に、半分崩れた石造りの小屋があった。昔は見張り小屋か何かだったのだろう。屋根の一部は残っている。馬を繋いで、中に入った。
先客がいた。
小屋の隅に、少女が座っていた。年はエリナと同じか少し上——八歳か九歳くらいだろう。膝を抱えて壁に寄りかかり、雨の降る入り口を睨んでいた。服は上等な生地だが、泥で汚れている。靴も濡れている。髪は乱れていた。
でも顔立ちは整っていた。鼻筋が通って、唇が薄い。そして目が、どこか刃物のように鋭かった。 エリナが入ってきたのを見て、少女は顔を上げた。値踏みするような視線が走った。一秒もかからず、上から下まで見た。「……何」
開口一番がそれだった。挨拶でも自己紹介でもない。
「雨宿り。邪魔なら端に寄る」
「別に邪魔じゃない。ただ、思ったより小さかったから」 「私が?」 「アッシュフォード商会の話を聞いてたから、もっと大きい人間かと思ってた」エリナは少し止まった。
「知ってるの?」
「ベルナで知らない人間の方が少ない。七歳の元令嬢が石鹸と薬を売って商会を立ち上げた。ロッソのベルダンを唸らせたとか」少女が肩をすくめた。
「噂は耳に入るもの。特に、ここ最近は退屈してたから」
退屈、という言葉の使い方が引っかかった。
「なぜここに?」
「馬車が壊れた。御者が修理に行って、戻らない。二時間は経ってる」少女がまた雨の入り口を睨んだ。
「まったく、使えない」
「一人で待ってたの」 「見ればわかるでしょう」エリナはゴードンを見た。ゴードンが小さく頷いた。
「ゴードン、馬車の場所を聞いて確認してきてもらえますか。御者が困ってるかもしれない」
ゴードンが少女に場所を確認して、外へ出た。小屋に二人が残った。
沈黙があった。 雨の音が続く。風が唸る。少女は膝を抱えたまま、壁を見ていた。 エリナは鞄から布を取り出して、少女の前に差し出した。「靴が濡れてる。拭いた方がいい」
「……いらない」 「風邪をひく」 「あなたには関係ない」 「関係はないけど、狭い小屋で風邪をひかれると困る」少女がエリナを見た。一瞬、何かを計るような目になって、それから鼻を鳴らした。
「……随分と正直なのね」
「遠回しに言うのが苦手なだけ」 「それは欠点じゃないの」 「時と場合による」少女が小さく、面白そうに口を曲げた。笑い、ではない。でも笑いの一歩手前くらいの表情だ。
布を受け取った。靴を脱いで、足を拭いた。動作は丁寧だった。育ちが出ている。「名前は?」と少女が聞いた。
「エリナ・アッシュフォード」
「知ってた。私はフィオナ・クロスベル。元クロスベル男爵家の娘。今は——」少し間があった。
「ただの平民、ということになってる」
元貴族。没落した。エリナは素早く情報を整理した。
「いつ没落したの」
「二年前。父が事業に失敗して、借金を抱えて爵位を返上した」フィオナの声は平坦だった。感情を削ぎ落とした言い方だ。
「母はそれより前に亡くなってる。今は父と二人。ベルナで細々とやってる」
「どんな仕事を」 「父は元の伝手で商人の帳簿を手伝ってる。私は——」フィオナがまた少し間を置いた。
「特に何も。没落令嬢に需要はない」
最後の一言に、棘があった。自分に向けた棘だとわかった。
「魔法の適性は?」
フィオナが少し目を細めた。
「なぜそれを聞く?」
「参考までに」 「Ⅲ階。輝晶。普通よりは高い。でも没落貴族の娘が魔法を使える場所なんてない」 「情報収集は得意?」唐突な質問に、フィオナがわずかに眉を上げた。
「……人より耳がいい、とは言われる。人が何を考えてるか、大体わかる」
「交渉は?」 「なぜそんなことを聞くの?」 「採用面接をしてるから」フィオナが固まった。
雨の音だけが続いた。それから少女は、信じられないものを見る目でエリナを見た。「……今、何と言った?」
「採用面接。うちの商会に来る気はないかと思って」 「あなたが私を雇うと言ってる?」 「そうなる前に確認したいことがある」フィオナが呆気に取られている間に、エリナは続けた。
「交渉の場で相手の感情を読める人間が必要だった。私は数字と論理で動くけど、感情で動く人間の読み方が得意じゃない。そこを補える人間を探してた」
「一時間前に会ったばかりよ」 「人を見るのにそこまで時間はかからない。あなたは最初の一秒で私を値踏みした。条件反射で情報を集める習慣がある。それが何かを示してる」フィオナがしばらく黙った。
長い沈黙の間、雨が小屋の屋根を叩いた。フィオナの目が、様々なものを通り過ぎていくように動いた。「……条件を聞かせてもらえる?」
「まず試用期間を一ヶ月。情報収集と交渉の補佐を担当してもらう。月給は今すぐは少ないけど、実績に応じて上げる。将来的には参謀として商会の戦略全体に関わってほしい」「参謀」フィオナが繰り返した。
「あなたの頭は、帳簿係には収まらないと思う。戦略を考える立場の方が向いてる」
フィオナがエリナを見た。今度は値踏みではない。違う種類の目だ。
「……一つ聞いていい?」
「どうぞ」 「なぜ私なの。ベルナにはもっと経験のある人間がいる」 「経験は積める。感性は積めない。あなたが最初に私を見た時の目の動き、情報の拾い方、言葉の選び方——全部、天性のものがある。それは教えて身につくものじゃない」フィオナが少しの間、黙ったまま雨を見ていた。
それからゆっくりと、口を開いた。「一つだけ言っておく」
「どうぞ」 「私は愛想がない。お世辞を言わない。間違いは間違いと言う。それで困る人間が多い」 「それで困らない」 「なぜ?」 「私も同じだから」フィオナが、今度こそ笑った。声には出なかったが、口の端が上がって、目が変わった。刃物みたいな鋭さは消えていなかったが、その中に何か別のものが混じった。
「……面白い人ね、あなた」
「よく言われる」 「誰に?」 「マリオとレインに」 「どんな人間?」 「マリオは幼馴染。レインは——」エリナが少し考えた。
「知り合い。魔法学院の生徒」
「男?」 「そうだけど」 「へえ」とフィオナが少し意味ありげな顔をした。「どんな男?」
「優秀な魔法使い。口数が少ない。合理的な思考をする」 「それだけ?」 「それだけ」フィオナがじっとエリナの顔を見た。それから小さく息を吐いた。
「……わかった。試用期間、やってみる」
ゴードンが戻ってきたのは、それから少し後だった。
「御者は馬車の車輪が外れていて、修理に手間取っていた。あと半刻ほどで直るそうだ」
フィオナが立ち上がった。泥で汚れた服を手で払った。
「もう少しここにいてもいい?」
「どうぞ」とゴードンが答えた。それからエリナを見た。「この方は?」
「フィオナ・クロスベル。来月から商会で働いてもらう」ゴードンがフィオナを見た。フィオナがゴードンを見た。
「……話が早いのね」
フィオナがエリナに言った。
「時間は有限だから」
「本当に愛想がない」 「あなたも大概でしょう」 「それはそうね」フィオナが肩をすくめた。ゴードンが静かに笑った。
雨が上がる頃、フィオナの馬車が直ったと御者が知らせに来た。 小屋の入り口でフィオナが振り返った。「一つだけ聞いていい?」
「どうぞ」 「クロヴェル家とやり合うつもりでしょう、いつか」エリナは少し止まった。
「なぜそう思う?」
「アッシュフォードの名前を捨てないで使ってる。没落した家の名前をわざわざ商会名にする理由は、一つしかない」フィオナが真っ直ぐにエリナを見た。
「復讐だけじゃなくて、父親の名誉回復を狙ってる。そのためにはいつかクロヴェルと正面からぶつかる必要がある。違う?」
エリナはしばらくフィオナを見た。
一時間前に出会った少女が、核心を一言で言い当てた。「……違わない」
「そう」フィオナが頷いた。
「それなら、役に立てると思う。クロヴェル家のことは、少し知ってるから」
「どのくらい」 「父が爵位を返上した時に、クロヴェル侯爵が関わっていたという噂がある。証拠はない。でも、知っていることはある」エリナの目が、少し鋭くなった。
「それは——」
「来月から話す。今日はここまで」フィオナが馬車の方へ歩き出した。
「それまでに私のことを調べてもいい。信用できるか確認して」
「調べる」 「正直ね」 「遠回しが苦手だと言った」フィオナが歩きながら、一度だけ振り返った。
「エリナ」
「何?」 「その男——レインだっけ。あなたが思ってるより、大事な存在になると思うよ」エリナが答えようとした時、フィオナはもう馬車に乗り込んでいた。
蹄の音が遠ざかる。 エリナは街道に立ったまま、しばらく馬車の消えた方向を見ていた。なぜレインの話になった。
そして、なぜその一言が、少し引っかかっているのか。 答えは出なかった。 ゴードンが隣に来た。「良い人材ですね」
「そう思う」 「クロヴェルの情報を持っているとしたら、なおさら」 「来月が楽しみ」 馬車に乗り込みながら、もう一度だけ考えた。 あなたが思ってるより、大事な存在になると思うよ。フィオナは初対面で人の感情を読む目を持っていると言った。
だとしたら——その言葉は、何を読んだ上での言葉なのか。 エリナは首を振った。 考えるべきことは他にある。クロヴェルの情報、商会の次の展開、王都への準備。 優先順位をつければ、レインのことは最下位だ。 最下位、のはずだ。馬車が動き出した。街道を、ルシェムへ向けて走り出した。
エリナは窓の外を見ながら、最下位のことを、なぜかもう一度だけ考えた。四月になった。 春が本格的になった。 市場に花と野菜が並んだ。 フィオナの庭の薬草が、緑色を深くした。 農地の薬草が、二年目の芽を出し始めた。 エリナは毎朝、台所の窓を開けた。 春の空気が入ってきた。 今年も、春が来た。 でも、今年の四月は、動きが重なった。 四月の最初の週に、フィオナが地方の学校に向けて出発した。 三カ所を順番に回る予定だった。 一カ所に、二日から三日滞在する。 全部で二週間ほどの旅だった。 出発の朝、フィオナが長屋に来た。「行ってくる」フィオナが言った。「行ってらっしゃい」エリナが言った。「気をつけて」「気をつける」フィオナが言った。「何かあれば、手紙を出す」「待っています」「ルシェムが、待っていてくれる」フィオナが言った。「それが、わかっているから、どこにでも行ける」「帰ってくる場所があるから、遠くに行ける」エリナが言った。「あなたの言葉だ」フィオナが笑った。「でも、今日は自分の言葉として使う」「そうしてください」 マリオが見送りに来た。「フィオナさん、行ってらっしゃい」マリオが言った。「ありがとう、マリオ」フィオナが言った。「ルシェムは、俺が守っておく」マリオが言った。「マリオが守っているなら、安心だ」フィオナが笑った。「いつも、そう言ってくれるから、どこにでも行ける」「それが俺の仕事だから」マリオが言った。 ルナが来た。「庭の薬草、水をやっておく」ルナが静かに言った。「ありがとう、ルナ」フィオナが言った。「帰ってきた時に、育っていると嬉しい」「育てておく」ルナが頷いた。「植物は、帰ってくる人を待っている」「その言葉が、好きだ」フィオナが言った。 フィオナの馬が動き出した。 エリナ、マリオ、ルナが見送
二月になった。 冬がまだ続いていた。 でも、日が少しずつ長くなってきた。 夕方、作業場の前に立つと、去年の今頃より少しだけ長く外が明るかった。 エリナは、その変化に気づいていた。 春が、近づいている。 毎年、同じように春が来た。 でも、毎年少し違う春だった。 今年の春は、父の名誉が回復された後の最初の春だった。 二月の初めに、レインから手紙が来た。エリナへ「届いた」という言葉を受け取った。「続けてきたことが、今日の形になった」という言葉も。俺も、同じことを感じた。遠くにいたが、届いた日のことは、ここにいてもわかった気がした。師匠に話したら、「そうか」と言った。それだけだったが、師匠の「そうか」は、受け取った、という意味だとわかっている。春になったら、行く。今年の春のルシェムを見たい。それと、個人的なことを一つ。師匠が今年の夏に退く方向で、学院と話し合いが進んでいる。師匠が退いた後、俺がどうするかを、少し考えている。まだ言葉にできない部分がある。でも、考えていることは確かだ。春に、話せると思う。レイン エリナはレインの手紙を読んで、「春に、話せると思う」という一行を少しだけ見た。 言葉にできない部分がある。でも、考えている。 以前、レインが同じようなことを言った時、大事なことが言葉になる前だった。 春に来る。そして、話す。『レインへ「届いた日のことは、ここにいてもわかった気がした」という言葉を受け取りました。遠くにいても、繋がっているということですね。それが、続けてきたことの形だと思います。師匠のことを受け取りました。師匠が退いた後のことを、春に話してください。聞きます。春のルシェムを、見てほしいと思っています。今年の春は、少し違う春かもしれません。父の名誉が回復された後の最初の春だから。待っています。
一月になった。 新しい年が来た。 ルシェムの元旦は、今年も静かだった。 市場が休んだ。道を歩く人が少なかった。 エリナは朝、台所の窓を開けた。 冷たい空気が入ってきた。 霜が降りていた。 今年も、同じ朝から始まった。 元旦の朝、台所に行くと、蜂蜜のパンが置いてあった。 八年連続だった。「また蜂蜜のパンですね」エリナが言った。「毎年同じの方がいい」セレーナが言った。「始まりには、同じものがいい」「来年も、同じですか」「来年も同じにする」セレーナが穏やかに言った。「それが、続けることだから」 エリナは蜂蜜のパンを食べた。 甘かった。 八年間、変わらない甘さだった。 変わらない甘さが、続いてきたことの味だった。 マリオが来た。「おめでとう、新年だな」「おめでとうございます」「毎年言っているな」マリオが笑った。「毎年言ってくれますね」「来年も言う」「わかっています」 マリオが少しだけ、エリナを見た。「今年は、どんな年になると思う」「わかりません」エリナが言った。「でも、続けることは変わりません」「それだけで十分だな」マリオが頷いた。「続ければ、何かになる。それが、これまでそうだったから」「そうですね」「お前と一緒にいて、一番覚えた言葉だ」マリオが言った。「急がない。でも、止まらない」「マリオが、その言葉を使えるようになりましたね」「お前から学んだ」マリオが言った。「七年間で、一番大事な言葉を学んだ」 一月の第二週に、レインから年始の手紙が来た。エリナへ新年になった。今年も、手紙を書く。今年の冬に、また霜の石畳を一緒に歩く。それが、今年の始まりに確かなことだ。一つだけ、届けたいことがある
十二月になった。 冬が本格的になった。 ルシェムの霜が、厚くなった。 朝、窓を開けると、白い息が出た。 エリナは毎朝、台所の窓を開けた。 今日の空気を確認した。 今日も、冬の空気だった。 それが、当たり前になっていた。 当たり前になったことが、続いていることだと、今は知っていた。 レインが学院に帰って、一週間が経っていた。 手紙が届いた。 エリナへ 帰ってきた。 学院の石畳は、今日も霜が降りていた。朝、歩きながら、今年もエリナと一緒に歩いた、と思った。 それが、今年の霜の石畳の重みだと思う。来年も、一緒に歩く。その積み重ねが、続くことだと思っている。 一つだけ、今日感じたことを届けたい。 図書室に行った。いつもの席に座った。光がいつも通り入ってきた。でも、少し違った。 なぜ違うかを考えた。 エリナが、この光を見たから、かもしれない。一緒に見たから、自分一人で見る時も、一緒に見ている感じがする。 それが、続けることで起きることだと思う。 手紙を書く。 ――レイン―― エリナはレインの手紙を読んで、少しだけ目を閉じた。 一緒に見たから、自分一人で見る時も、一緒に見ている感じがする。 それが、続けることで起きること。 開けた。 レインへ「一緒に見たから、一人で見る時も一緒に見ている感じがする」という言葉を受け取りました。 私も、同じです。今朝、ルシェムの霜を見た時、学院の石畳を思い出しました。一緒に歩いたから、一人で見る霜の中に、あなたがいます。 それが、続けることで起きることですね。 来年の冬も、一緒に歩きます。約束しました。それが、今から楽しみです。 農地の年末報告を、来週ベルトとルナがまとめます。来年の計画が、少し見えてきそうです。
十一月になった。 冬が近づいていた。 朝の霜が、また降り始めた。 エリナは毎朝、台所の窓を開けた。 今日の空気を確認した。 霜が降りていた。 薄い霜だった。 でも、毎年少しずつ厚くなっていく。 それが、冬の始まりの形だった。 霜を見るたびに、学院の石畳を思い出した。 今年も、その季節が来た。 十一月の初め、レインから手紙が来た。 エリナへ 今月の終わりか、来月の初めに行く。 今年も、霜の石畳を一緒に見たい。 学院の霜が、今年も降り始めた。朝、図書室に向かう廊下を歩きながら、今年もエリナが来ると思った。 それだけで、少し違う朝になった。 待っていてくれるか。 ――レイン―― エリナはレインの手紙を読んで、「それだけで、少し違う朝になった」という一行を少しだけ見た。 来ると思っただけで、朝が違う。 自分も、同じだった。 レインが来る時期が近づくと、朝の空気が少し違う感じがする。 レインへ 来月、来てください。待っています。今年も、一緒に霜の石畳を歩きたいです。「来ると思っただけで、少し違う朝になった」という言葉を受け取りました。私も、同じです。あなたが来る時 期が近づくと、いつもと少し違う感じがします。 農地の件、ベルトとルナが腐葉土を混ぜる試みを続けています。来月の報告書を、一緒に持っていきます。 ――エリナ―― 十一月の半ばに、ダリウスから手紙が来た。 エリナ・アッシュフォード殿へ 名誉回復の審議について、大きな進展があった。 先月、証言者が委員会で正式に証言した。アッシュフォード侯爵の改革案は、当時から正しい方向だったという内容だった。委員会は、その証言を正式な記録として採択した。 決定には、もう少し時間がかかる。でも、方向は決ま
九月になった。 秋が来た。 朝の空気が、夏とははっきり違う冷たさを持ち始めた。 エリナは毎朝、台所の窓を開けた。 今日の空気を確認した。 今日は、秋の空気だった。 窓を開けるたびに、今日の変化を感じる習慣は、何年も続いていた。 変わらない習慣の中に、毎日少しずつ違う空気があった。 それが、続けることの形だと思っていた。 九月の最初の週、フィオナが長屋に来た。「一つ、伝えたいことがある」「どうぞ」「ダリウスから連絡が来た」「どんな内容ですか?」「父の名誉回復の審議について、進展があった。審議委員会が、アッシュフォード侯爵の件を正式に議題として取り上げた。次の会合で、具体的な審議に入るとのこと」 エリナは少しだけ止まった。 正式に議題として取り上げられた。「ダリウスが、教えてくれたんですね」「そう。定期報告の中に、この話が入っていた。重要だと思って、すぐに来た」「ありがとうございます」「礼はいらない。でも、一つだけ聞いていい?」「どうぞ」「どんな気持ち?」 エリナは少し考えた。「静かな気持ちです」「静か、というのは?」「大きな感情が来ると思っていた。でも、来なかった。静かだった。谁かがそうでした。当然のことが形になった、という感じがします」「当然のことが、形になってきた、か」「父が正しかったことは、もうわかっている。だから、名誉が回復されることは、当然のことだと思っています。でも、それが形になるまでに、時間がかかった。やっと、時間が追いついてきた」「時間が追いついてきた。それが、正確な言い方かもしれない」 セレーナに伝えた。「お母さん、また一つ、動きました」「名誉回復の件?」「はい。正式に議題として取り上げられました」 セレーナが手を止めた。 少しだけ、窓の外を見た。「そうかぁ」 セレー