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11話 毒舌令嬢と、雨宿りの論戦

last update Petsa ng paglalathala: 2026-08-07 18:00:36

 フィオナ・クロスベルと出会ったのは、ベルナへの二度目の訪問の帰り道だった。

 ロッソ商会との取引が軌道に乗り始めて一ヶ月。試験期間の数字が予測を上回ったため、ベルダンから「早めに次の話をしたい」と連絡が来た。ゴードンと二人でベルナへ向かい、発注量の引き上げと新商品の追加について話し合った。交渉は二時間で終わった。前回より短かった。信頼が積み上がると、交渉は速くなる。

 問題は帰り道に起きた。

 街道の途中で、空が急に暗くなった。春の嵐だ。風が強く、雨粒が横から叩きつけてくる。ゴードンが御者台から声をかけてきた。

「あの廃屋で雨宿りしよう。馬が危ない」

 街道脇に、半分崩れた石造りの小屋があった。昔は見張り小屋か何かだったのだろう。屋根の一部は残っている。馬を繋いで、中に入った。

 先客がいた。

 小屋の隅に、少女が座っていた。

 年はエリナと同じか少し上——八歳か九歳くらいだろう。膝を抱えて壁に寄りかかり、雨の降る入り口を睨んでいた。服は上等な生地だが、泥で汚れている。靴も濡れている。髪は乱れていた。

 でも顔立ちは整っていた。鼻筋が通って、唇が薄い。そして目が、どこか刃物のように鋭かった。

 エリナが入ってきたのを見て、少女は顔を上げた。値踏みするような視線が走った。一秒もかからず、上から下まで見た。

「……何」

 開口一番がそれだった。挨拶でも自己紹介でもない。

「雨宿り。邪魔なら端に寄る」

「別に邪魔じゃない。ただ、思ったより小さかったから」

「私が?」

「アッシュフォード商会の話を聞いてたから、もっと大きい人間かと思ってた」

 エリナは少し止まった。

「知ってるの?」

「ベルナで知らない人間の方が少ない。七歳の元令嬢が石鹸と薬を売って商会を立ち上げた。ロッソのベルダンを唸らせたとか」

 少女が肩をすくめた。

 「噂は耳に入るもの。特に、ここ最近は退屈してたから」

 退屈、という言葉の使い方が引っかかった。

「なぜここに?」

「馬車が壊れた。御者が修理に行って、戻らない。二時間は経ってる」

 少女がまた雨の入り口を睨んだ。

「まったく、使えない」

「一人で待ってたの」

「見ればわかるでしょう」

 エリナはゴードンを見た。ゴードンが小さく頷いた。

「ゴードン、馬車の場所を聞いて確認してきてもらえますか。御者が困ってるかもしれない」

 ゴードンが少女に場所を確認して、外へ出た。小屋に二人が残った。

 沈黙があった。

 雨の音が続く。風が唸る。少女は膝を抱えたまま、壁を見ていた。

 エリナは鞄から布を取り出して、少女の前に差し出した。

「靴が濡れてる。拭いた方がいい」

「……いらない」

「風邪をひく」

「あなたには関係ない」

「関係はないけど、狭い小屋で風邪をひかれると困る」

 少女がエリナを見た。一瞬、何かを計るような目になって、それから鼻を鳴らした。

「……随分と正直なのね」

「遠回しに言うのが苦手なだけ」

「それは欠点じゃないの」

「時と場合による」

 少女が小さく、面白そうに口を曲げた。笑い、ではない。でも笑いの一歩手前くらいの表情だ。

 布を受け取った。靴を脱いで、足を拭いた。動作は丁寧だった。育ちが出ている。

「名前は?」と少女が聞いた。

「エリナ・アッシュフォード」

「知ってた。私はフィオナ・クロスベル。元クロスベル男爵家の娘。今は——」

 少し間があった。

 「ただの平民、ということになってる」

 元貴族。没落した。エリナは素早く情報を整理した。

「いつ没落したの」

「二年前。父が事業に失敗して、借金を抱えて爵位を返上した」

 フィオナの声は平坦だった。感情を削ぎ落とした言い方だ。

「母はそれより前に亡くなってる。今は父と二人。ベルナで細々とやってる」

「どんな仕事を」

「父は元の伝手で商人の帳簿を手伝ってる。私は——」

 フィオナがまた少し間を置いた。

 「特に何も。没落令嬢に需要はない」

 最後の一言に、棘があった。自分に向けた棘だとわかった。

「魔法の適性は?」

 フィオナが少し目を細めた。

「なぜそれを聞く?」

「参考までに」

「Ⅲ階。輝晶。普通よりは高い。でも没落貴族の娘が魔法を使える場所なんてない」

「情報収集は得意?」

 唐突な質問に、フィオナがわずかに眉を上げた。

「……人より耳がいい、とは言われる。人が何を考えてるか、大体わかる」

「交渉は?」

「なぜそんなことを聞くの?」

「採用面接をしてるから」

 フィオナが固まった。

 雨の音だけが続いた。それから少女は、信じられないものを見る目でエリナを見た。

「……今、何と言った?」

「採用面接。うちの商会に来る気はないかと思って」

「あなたが私を雇うと言ってる?」

「そうなる前に確認したいことがある」

 フィオナが呆気に取られている間に、エリナは続けた。

 「交渉の場で相手の感情を読める人間が必要だった。私は数字と論理で動くけど、感情で動く人間の読み方が得意じゃない。そこを補える人間を探してた」

「一時間前に会ったばかりよ」

「人を見るのにそこまで時間はかからない。あなたは最初の一秒で私を値踏みした。条件反射で情報を集める習慣がある。それが何かを示してる」

 フィオナがしばらく黙った。

 長い沈黙の間、雨が小屋の屋根を叩いた。フィオナの目が、様々なものを通り過ぎていくように動いた。

「……条件を聞かせてもらえる?」

「まず試用期間を一ヶ月。情報収集と交渉の補佐を担当してもらう。月給は今すぐは少ないけど、実績に応じて上げる。将来的には参謀として商会の戦略全体に関わってほしい」

「参謀」フィオナが繰り返した。

「あなたの頭は、帳簿係には収まらないと思う。戦略を考える立場の方が向いてる」

 フィオナがエリナを見た。今度は値踏みではない。違う種類の目だ。

「……一つ聞いていい?」

「どうぞ」

「なぜ私なの。ベルナにはもっと経験のある人間がいる」

「経験は積める。感性は積めない。あなたが最初に私を見た時の目の動き、情報の拾い方、言葉の選び方——全部、天性のものがある。それは教えて身につくものじゃない」

 フィオナが少しの間、黙ったまま雨を見ていた。

 それからゆっくりと、口を開いた。

「一つだけ言っておく」

「どうぞ」

「私は愛想がない。お世辞を言わない。間違いは間違いと言う。それで困る人間が多い」

「それで困らない」

「なぜ?」

「私も同じだから」

 フィオナが、今度こそ笑った。声には出なかったが、口の端が上がって、目が変わった。刃物みたいな鋭さは消えていなかったが、その中に何か別のものが混じった。

「……面白い人ね、あなた」

「よく言われる」

「誰に?」

「マリオとレインに」

「どんな人間?」

「マリオは幼馴染。レインは——」

 エリナが少し考えた。

「知り合い。魔法学院の生徒」

「男?」

「そうだけど」

「へえ」とフィオナが少し意味ありげな顔をした。

 「どんな男?」

「優秀な魔法使い。口数が少ない。合理的な思考をする」

「それだけ?」

「それだけ」

 フィオナがじっとエリナの顔を見た。それから小さく息を吐いた。

「……わかった。試用期間、やってみる」

 ゴードンが戻ってきたのは、それから少し後だった。

「御者は馬車の車輪が外れていて、修理に手間取っていた。あと半刻ほどで直るそうだ」

 フィオナが立ち上がった。泥で汚れた服を手で払った。

「もう少しここにいてもいい?」

「どうぞ」とゴードンが答えた。それからエリナを見た。

「この方は?」

「フィオナ・クロスベル。来月から商会で働いてもらう」

 ゴードンがフィオナを見た。フィオナがゴードンを見た。

「……話が早いのね」

 フィオナがエリナに言った。

「時間は有限だから」

「本当に愛想がない」

「あなたも大概でしょう」

「それはそうね」

 フィオナが肩をすくめた。ゴードンが静かに笑った。

 雨が上がる頃、フィオナの馬車が直ったと御者が知らせに来た。

 小屋の入り口でフィオナが振り返った。

「一つだけ聞いていい?」

「どうぞ」

「クロヴェル家とやり合うつもりでしょう、いつか」

 エリナは少し止まった。

「なぜそう思う?」

「アッシュフォードの名前を捨てないで使ってる。没落した家の名前をわざわざ商会名にする理由は、一つしかない」

 フィオナが真っ直ぐにエリナを見た。

 「復讐だけじゃなくて、父親の名誉回復を狙ってる。そのためにはいつかクロヴェルと正面からぶつかる必要がある。違う?」

 エリナはしばらくフィオナを見た。

 一時間前に出会った少女が、核心を一言で言い当てた。

「……違わない」

「そう」

 フィオナが頷いた。

 「それなら、役に立てると思う。クロヴェル家のことは、少し知ってるから」

「どのくらい」

「父が爵位を返上した時に、クロヴェル侯爵が関わっていたという噂がある。証拠はない。でも、知っていることはある」

 エリナの目が、少し鋭くなった。

「それは——」

「来月から話す。今日はここまで」

 フィオナが馬車の方へ歩き出した。

「それまでに私のことを調べてもいい。信用できるか確認して」

「調べる」

「正直ね」

「遠回しが苦手だと言った」

 フィオナが歩きながら、一度だけ振り返った。

「エリナ」

「何?」

「その男——レインだっけ。あなたが思ってるより、大事な存在になると思うよ」

 エリナが答えようとした時、フィオナはもう馬車に乗り込んでいた。

 蹄の音が遠ざかる。

 エリナは街道に立ったまま、しばらく馬車の消えた方向を見ていた。

 なぜレインの話になった。

 そして、なぜその一言が、少し引っかかっているのか。

 答えは出なかった。

 ゴードンが隣に来た。

「良い人材ですね」

「そう思う」

「クロヴェルの情報を持っているとしたら、なおさら」

「来月が楽しみ」

 馬車に乗り込みながら、もう一度だけ考えた。

 あなたが思ってるより、大事な存在になると思うよ。

 フィオナは初対面で人の感情を読む目を持っていると言った。

 だとしたら——その言葉は、何を読んだ上での言葉なのか。

 エリナは首を振った。

 考えるべきことは他にある。クロヴェルの情報、商会の次の展開、王都への準備。

 優先順位をつければ、レインのことは最下位だ。

 最下位、のはずだ。

 馬車が動き出した。街道を、ルシェムへ向けて走り出した。

 エリナは窓の外を見ながら、最下位のことを、なぜかもう一度だけ考えた。

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